浜商カレー開発物語

浜松市北区細江町気賀の大村屋酒店です

2006年04月23日 10:32





浜商カレー開発物語。
完成近し・・・もう一度おさらいです。


お金もなく、いつも腹を空かしていた高校時代、あの学食のカレーを食べると満ち足りた気分になり、パワーと元気をもらっていたカレーであった。要するに心もお腹も満足するカレーだった…。そんな記憶が蘇り、私は「面白い」と先輩からの話に飛びついた。
商品化にあたってはまず学校側の許可が必要と思い、さっそく浜商の事務室に連絡した。学校側の受け止め方は割と好意的で、学食とのコンタクトもとれた。商品開発するにあたりあのカレーを食べてみないことには始まらない。私の場合、学食のカレーを食べなくなってからすでに20年もの歳月が流れているのだ。

あの頃は「美味しかった」という記憶がある。それは高校時代、つまり自分にとっての青春時代の思い出が味を美化しているのではないか?あるいは、高校時代の自分が完璧な味覚を持っているはずもなく、ただボリュームがあったから「あのときの学食のカレーは美味しい」という錯覚に陥っているだけかもしれない。また、よく言われる「大釜、大鍋で煮炊きする料理は美味しい」という説にのっとるなら、浜商の学食のカレーの美味しさの秘密は大鍋で煮込んでいるからという可能性だってある。

面白そうと話に飛びついてはみたものの、いろいろと問題はありそうだ。そこで私は、今回の発起人である先輩、カレーをレトルトにしてくれる食品メーカーの担当者、そして問屋の社長の4人で浜商の学食に足を運んでカレーを食べることにした。

20年ぶりに浜商の学食を訪れたのは、1月中旬の午後。さっそく現在学食で出されているさっそく試食。

辛さ的には私の現役時代と変わっていない。具はなんと角切りの豚肉が入っている!私たちのときはバラ肉を何時間も煮込んでいたため、ほとんど豚肉の原型をとどめていなかったのに。これも時代の流れか…。
それはさておき、同行者の試食後の感想は…。

今回のプロジェクトの発起人である先輩は「なんか(昔と)全然違う」。

その話に「えっ?」と驚く私。私の舌の記憶では肉こそ違え、カレー自体の味は当時のままだったからだ。思えば、先輩は私より10歳年上。浜商関係者に話を聞いてみると、先輩の卒業後、学食にもいろいろ変化があったそうで、その事実を踏まえると二人の見解が異なるのことにも納得がゆく。しかし、そうなると今度は、浜商の学食のカレーと一言で言っても、先輩の時代と私の時代のどちらの
味を再現するのか?という問題が浮上してくる。

さらにもう一つ新たな難題が。現在、浜商の学食を担当している会社から「カレーのレシピは教えられない」と宣告されてしまったのだ。こうなると自分たちの舌をたよりに開発するしかない。学食に同行した食品メーカーの担当者が「これではないだろうか?」というカレーフレークで第一回目のサンプルをつくることにした。

ネーミングについては、絶対に浜商という言葉を入れたくて、「嗚呼、浜商の学食のカレー」に決定した。

2月上旬には第一号の試作品が完成。10食の試作品を浜商関係者などに試食してもらった。「全然違う」・・ばっさりと切り捨てられた。すぐにメーカーに第二弾のサンプルを作ってもらった。

「これもダメ。まだ試作1号のほうがマシ」

先の見えない商品開発に私も先輩も焦りだした。「思い出の味は思い出でしかないのか?開発なんて無理な話だったのか・・」

「浜商の学食のカレー、あれは大将の店のカレーではないか?」

野球部関係者、年配のOBからの意見・・そこには浜商の先生でもあり、野球部の監督でもあった根木さんの名前があがった。根木先生の実家は「東京屋」というソバ屋だった。東京屋へ何度も通い情報を分けていただき、そしてここの東京屋のカレーも試食した。

「これだ!!」

浜商の学食のカレーは蕎麦屋のカレーがルーツ??そこにはたくさんの物語があった。